時代へ向かう精神性『コモディティ化から離脱せよ』AI時代に融合するグランジカルチャーの反骨精神と反商業主義
- Hiroshi Abe
- 6 日前
- 読了時間: 12分

"Spirituality for the New Era: Escaping Commoditization - How Grunge Culture Fuses with Anti-Establishment and Anti-Commercial Values in the AI Age"
「日本はギリシャより財政が悪い」が「コメを買ったことがない」を更迭というやり取りが国家最高会議で行われている現状はまるでコントのようだ。。でも、そういうやり取りをする人物をキャスティングしているのは、引いて見れば私とあなただったりするのが辛い。。
まあ、それは横においておこう。
はじめに:2つのトピックス
トピックス-1:ディズニーの実写版『白雪姫』が歴史的な大惨敗

実際に映画見た人はあまりいないと思うのだが、この映画はあらゆる方面で(ごく僅かな一部ファンを除き)酷評されている映画だ。DEI(多様性・公平性・包摂性)への過度な配慮、イスラエル・パレスチナ問題への主演女優の対応、キャスティング・ミス、演出構成の失敗などで、誰もが知る輝かしい名作IPを現代的に再生することに完全に大失敗した強烈な典型例だ。
一部報道筋によると400億以上の赤字が出ているとも言われている。さらに一旦上映終了をしていたにも関わらずまたなぜか再上映をして更に炎上、その上、ディズニーは家での視聴を薦めるSNS投稿を行なっていた。意味不明だ。この先の歴史上、文化的な地殻変動を感じさせた出来事として、エンタメ界の黒い伝説になるだろう。この件は日本でほとんどニュースにはなっていない。ディズニーを敵に回したくないんだと思う。
参考記事:
"Snow White' Box Office Run Is Almost Over, Cementing All-Time Flop For Disney " Ian Miller Published April 25, 2025 9:14 PM GMT-4•UpdatedApril 25, 2025 9:14 PM GMT-4
"Disney has done the impossible, and made Snow White an even bigger bomb" Are-release of the already disastrous live-action remake has made a pitiful $252 per screen. Who thought this was a good idea? Ed Power 12 May 2025 3:39pm BST.
トピックス-2:パティ・スミスとアート展
パティ・スミス(Patti Smith)が書き下ろした詩と、ベルリンを拠点に活動する現代音響芸術集団のサウンドウォーク・コレクティヴ(Soundwalk Collective)、そしてそれらを増幅させる映像が交差するオーディオビジュアル・インスタレーション展覧会が、現在、東京都美術館で開催中。パティ・スミスは、世界的な文化アイコン、アーティストとなったが、元はニューヨーク・パンクの象徴的存在であったことは記憶に残る重要な文化史だ。
ニューヨーク・CBGBからの系譜
ニューヨーク・パンクといえば伝説のライブハウスCBGBがあった。この、CBGBは、マンハッタンのイーストビレッジ、バワリー(Bowery)にあり、Ramones(ラモーンズ)、Blondie(ブロンディ)、Television(テレヴィジョン)をはじめとする数々の革新的なバンドが生まれた聖地だ。
緊張感を持った荒削りで実験的なギターサウンド、不協和音的な不完全な美とか、その辺りお好きな方は、ひとまず私からはテレヴィジョンの1stアルバムをレコメンドしておきたい。
そして、そのCBGBは2006年10月のパティ・スミスによる最終公演を最後に閉店したのだった。その後、ニューヨーク・パンクの音楽カルチャーは、グランジへと繋がっていった。

CBGBは、しばらくして新たなオーナーによって復活。そして再び経営破綻していた。その後何度かCBGBの名を冠したイベントが開催されているが、今年2025年9月27日にも、ニューヨーク、ブルックリンのUnder the K BridgeでCBGBフェスティバルが開催される。この、2025年の今のタイミングだからこそ、スケジュール合えば、、、行きたいなと思っている。
このイベントは、CBGB本来の精神である「オリジナル音楽、飾り気なし、はみ出し者のためのステージ」への純粋なオマージュ、 CBGB lives: punk's holy ground resurrected in Brooklyn 2025 として企画されているようだ。

CBGB FEST "A FESTIVAL FOR UPLIFTING GOURMANDIZERS"
反骨精神が求められる時代
こういった「反骨精神」溢れるカルチャーのサウンド、ファッションを含めたライフスタイルが若者世代を含めて、今現代に、再び求められるようになってきたような感じがしている。これは個人的な懐古主義ではない。
今、現代にそういった「反骨精神」がクローズアップされるようになってきているのは、これまでの重厚長大と権威主義のもと、高尚な肩書きと他人から見て整理整頓された人生を構築するために、46時中働きつづける生き方とそこで得れる幸福感について、果たしてこれでいいのか?と疑問が増幅しながら、日々の生活に飽きてきた反動なのではないだろうかと思う。
飽きてきたというのは、身の回りにある情報にいつの間にかコントロールされているような現状、つまり、「コモディティ化」された日常に、ということだ。


音楽業界のコモディティ化
例えば、音楽業界の話に限って言えば、現代のヒットチャート系に溢れる音楽のほとんどは(特にアメリカ商業系音楽がその傾向が強いが)、音楽以外のところの情報と仕掛けで色々なことが整理整頓されて、マーケティングという名目の作業の元で決められ、製造され、販売されている。これがコモディティ化を促進する。
本来あるべき独自性や個性が失われ、大量生産・大量消費に適した画一的な商品へと変質していく現象だ。もちろん、ボーカルの音程も声質も、一般的に、心地良いように修正されていく。そうやって「コモディティ化」していっている。
一方で、そういったことから生まれるモノやコトに、人々は、特にデジタルカルチャー・AIカルチャーネイティブ世代は飽きてきているのだと思う。そういたコモディティ化された音楽情報に飽きてきたから、アナログレコードの売り上げも伸びているのだと思う。
私も、先ほどのような「コモディティ化」には完全に飽きているのだが、これは私がどうとかということでなく、人間自体がもともと、不協和音的で不完全さを持つ生き物だから、そこへの本質的な揺り戻しが起きているからかもしれない。
参考情報:
1、Statista のチャート:1993-2023年の米国アナログレコード売上推移
2、American Enterprise Institute のアニメーション・チャート
1973-2022年の音楽フォーマット別市場シェア推移 Animated Chart of the Day: Recorded Music Sales by Format Share, 1973 to 2022 | American Enterprise Institute - AEI
デジタルカルチャーからAIカルチャーへ
これまでのデジタルカルチャーは人々の生活の中へ浸透してゆき、楽しさを提供しながら、日々の利便性を底上げするタイプのものだったが、AIカルチャーは、経済合理性の追求による大量生産・大量消費などを背景として生まれた拝金主義、コスパやタイパの利便性追求の中で、みんな何かがおかしいと気づき始めた無駄な仕事や作業、職業を淘汰してゆくもので、人々の生活のあり方を変えようとしている。どちらかと言えば、今のところは時代の価値観に真っ向から反骨精神を持って破壊をしかけるような立ち位置だ。
(※注)私は、デジタルカルチャーとAIカルチャーという表現で、個人的な考え方において、分けて使っています。
過去のカウンターカルチャーの精神性とAI時代の新たな価値観の融合が起こりつつあるように感じている。
この融合が起こっていると思うのは、AIカルチャーとニューヨークパンクやグランジの立ち位置が本質的に似ていると思うからだ。グランジが1990年代に音楽業界の商業主義や完璧主義に対して破壊的な反抗を仕掛けたように、AIカルチャーは現在、既存の労働システムや経済合理性を前提とした社会構造に対して破壊者として機能している。
どちらも、メインストリームが作り上げた「こうあるべき」という枠組みを根本から問い直し、より本質的で人間らしいあり方を模索する動きなのだ。グランジが「不協和音や不完全さの美学」を提示したように、AIカルチャーも「効率だけが全てではない」という価値観を浮き彫りにしている。
このように、反骨精神溢れるニューヨークのストリートカルチャー、ニューヨークパンクから派生した「グランジ」と、現代のAIカルチャーは、破壊者としての共通点から強い親和性を持っているのだ。
文化の連続性・精神性
CBGBからグランジへの系譜
1973年に開業したCBGBに関連するニューヨーク・パンクの音楽カルチャーは、その後、1980年代後半に米国シアトルを中心に始まったグランジへと繋がっていると言っていい。グランジの先駆的バンドとしては、Green River(1984年結成)やMudhoney(1988年結成)などが挙げられるが、一般的には1986年〜1989年頃から音楽シーンとして認識され始め、1990年代前半にメインストリームへと浸透していった。
CBGB開業からグランジ台頭まで約15年の時間差。
この期間にパンクからポストパンク、ハードコア、オルタナティブロックなどの進化があり、その流れの中でグランジが生まれた。テレヴィジョンの実験的ギターワーク、パティ・スミスの詩的アプローチ、ラモーンズの直截的エネルギーなどは、後にソニック・ユースやダイナソー・ジュニアといったバンドに受け継がれ、それがさらにグランジシーンに影響を与えた。
共通する精神性
CBGBに由来する音楽的・精神性は「DIY精神」「反商業主義」「生のエモーション」といったあたりで、これらの精神性は、そのままグランジの核心となっている。ニルヴァーナをはじめとするグランジバンドは、メジャー(レーベル)に対する複雑な感情や、オーセンティックな表現への渇望を持っていた。地理的・時代的橋渡しも見逃せない。多くのニューヨーク・パンクの重要人物(キム・ゴードンなど)が後に西海岸に移り、シアトルのシーンとも交流があった。
グランジカルチャーの特徴
グランジは1980年代後半から1990年代前半にかけて、主にシアトルを中心とした米国北西部で生まれた音楽ジャンル・文化現象だった。音楽的なことを語ると長くなるのでまた別にするが、グランジが単なる音楽ジャンルを超えて特徴的だったのは、その文化的・ファッション的側面だと思う。
反商業主義、反メインストリーム的姿勢
カジュアルで無造作な服装(チェックシャツ、ダメージジーンズ、コンバースなど)
内省的で厭世的な歌詞傾向
X世代の疎外感や社会への不満を表現
「グランジ」という名前自体が「汚い」「みすぼらしい」という意味の俗語から来ていることも象徴的だ。

Kurt Cobain – Nirvana. Photo by Kevin Mazur Archive 1/WireImage

最近では、NirvanaヴィンテージTシャツは100万円超の価格になるものも。
AI時代の反商業主義:
新たなグランジカルチャーの可能性
ディズニーの『白雪姫』失敗から見えるもの
エンターテイメント業界のコモディティ化において、世界で最も成功した事例の一つである、冒頭でも取り上げたディズニーだが、今回の「白雪姫」実写版においては、現代的な価値観(いわゆるリベラル思想)に基づくコモディティ化のアップグレードを目指したが大失敗した。
この、白雪姫の実写版の失敗は、単純なコモディティ化の追求というより、もう少し複雑な現象と捉えることができると思う。実写版『白雪姫』の失敗は、次のような要素が絡み合っている。
失敗の4つの要因
コモディティ化の逆説:ディズニーは確かにDEIの要素を取り入れ「現代的な価値観に基づくコモディティ化」の試みだったが、皮肉なことに、DEIを形式的に取り入れることで、作品本来の魅力や個性(オリジナリティ)が薄れてしまった。
形骸化したDEI:本来、多様性や包括性は作品をより豊かにするはずのものだが、「過度な配慮」となり、創造性やストーリーテリングの質が二の次になってしまった。
本質とのミスマッチ:原作の持つ本質的な魅力や文脈から離れすぎたため、原作ファンにも新規観客にも響かない中途半端な作品になってしまった。
文化的オーセンティシティの欠如:DEIを取り入れようとする試みが、かえって作品の文化的な真正性(オーセンティシティ)を損なう結果となった。
つまり、白雪姫の失敗は「DEIによるさらなるコモディティ化」というより、「DEIの形式的導入による本質の喪失」と捉えたほうが適切だ。ディズニーは確かにグローバルなコモディティ化では成功しているが、この事例では「画一的なDEI対応」という新たな形のコモディティ化に失敗したと言える。
「本質の喪失」という点が、特に重要だと思う。
真正性への回帰
現代の観客は、表面的な多様性ではなく、真に多様で深みのある物語を求めている。例えば、大量生産された情報に侵されていないというような、時代への反骨精神を伴った伸びやかな多様性というべきか。コモディティ化を離脱するためには、先ほど述べたように、真正性のある体験や文化的な本質を見極めることが重要だと思う。
文化の循環と新たな融合
文化とトレンドは誰もが言うように循環する。しかし、それは単純な復古でもない。CBGBの精神性がAI時代の反商業主義と融合して蘇るように、過去の文化的遺伝子が現代の文脈で新たな意味を獲得する。ここでも過去のカウンターカルチャーの精神性とAI時代の新たな価値観の融合が顕著に現れている。
現在の、パティ・スミスたちのアーティスティックな展覧会が東京で開かれていることは、グランジカルチャーが持っていた文化や精神性への回帰を示唆するタイミングとも偶然に重なっているようで、興味深いなと思っていた。
新しいカルチャーの予兆とコモディティ化の離脱
CBGBという汚く狭いライブハウスから生まれたパンクが、なぜあれほどまでに文化的影響力を持ったのか。シアトルという立地の雨の多い気候と内省的な詩を持つグランジサウンドの関係性はどうなのか。そして現在、東京という世界最先端都市の一つの空間で元パンクの女王、パティ・スミスの展覧会が開催されることの意味は何なのか。

音楽、ファッション、空間、そして人々のライフスタイルが交差するところ、これらの要素は複雑に絡み合い、新しいカルチャーを生み出していく。
そこに文化の連続性・精神性の過程がある。文化的遺伝子(ミーム)の螺旋的進化と反骨精神による破壊と再生の動的プロセスだ。
これを追いかけることで、私たちは次に何が来るのかを予測できるかもしれない。
でも、予測ばかりでも良くはなく、自分たちを取り巻く現状がどうであれ、今を楽しむことが一番だと思っているのだが、「コモディティ化を離脱」することには興味がある。そして、個人やモノ、コトの個性がそのまま成り立つ社会(多様性というニュアンスではなく)の方がなんだか良い気がする。
新たな時代へ向かう精神性、コモディティ化を離脱するカルチャーの実験段階が既に始まっている。私たちは偶然、その最前線に立っている。
阿部
※次回はコモディティ化を離脱せよ「音楽、空間、場所、ファッション、酒、食、観光、、、その他」というようなテーマで探ってみたい。
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