AIネイティブと可処分所得・日本全体と30年データから見る経済的制約・AIとデジタルカルチャーと「所有から利用へ」・変わりゆく時代の新たな価値観
- Hiroshi Abe
- 4 日前
- 読了時間: 8分

※前回ブログの続きです。
はじめに:変化する価値観の背景にあるもの
テクノロジーの進化によって、情報とモノが必要以上に溢れかえる現代。 前回のブログでご紹介した「AI 2027プロジェクト」の予測からもわかるように、今後の生き残り戦略においては、闇雲に「AIだから」「プログラムだ」「データサイエンスだ」と思い込むのは危険です。
これまでのありきたりなAIとデジタルカルチャーの評論に従うのではなく、受け止め方を柔軟に変えていくべきでしょう。
そして、背景の一つに、私の個人的な感覚になりますが、デジタルカルチャーの潮流と並行して大量生産された情報とモノは価値を失いつつあり、「AIと差別化される人間らしさ」が、若者世代を中心に浮き彫りになってきています。しかし、このAIネイティブ世代の価値観変化は、単純な世代論や技術的な変化だけでは説明できません。実は経済的制約も大きな要因として背景にあるのではないでしょうか。
また、デジタルカルチャーの発展が経済的制約を促進したとも言えます。
車を持たない、旅しないと言われる最近の若者達が何に金を使うのか、「それは社会保険料です」というセンス良い回答をXで偶然見たのですが、この皮肉めいた答えの背景にある現実はどうなっているのでしょうか。単なる価値観の変化と片付けてしまう前に、実際の数字で確かめてみたくなりました。消費意欲の減退と実際の可処分所得の推移は、本当のところどうなっているのか。
1990年代から現在までの若者と日本全体の可処分所得の推移を改めて見てゆきましょう。
データで見る現実:消えゆく余裕
30年で変わった若者世代(AIネイティブ世代)と日本全体の財布事情

グラフの構成〜主グラフ(上部)
若年層(30歳以下)の可処分所得額(青の実線)
日本全体平均の可処分所得額(オレンジの実線)
大卒初任給(緑の実線)
若年層の社会保険料負担額(紫の破線)
全体平均の社会保険料負担額(茶色の破線)
都市部の家賃相場(1R/ワンルーム)(赤の点線、右軸)
グラフの構成〜サブグラフ(下部)
家賃負担率:可処分所得に対する家賃の割合(%)
社会保険料負担率:可処分所得に対する社会保険料の割合(%)
グラフから読み取る重要なポイント
1. 社会保険料の重い負担
社会保険料率は1995年の約14%から2023年の約18%へと30年間で約30%増加
絶対額も増加しており、特に全体平均では顕著な上昇傾向
2. 若年層の二重苦
若年層の可処分所得は全体平均より一貫して約20%低く推移
社会保険料負担額も若年層の方が少ないが、負担率で見ると若年層の方が高い
若年層は社会保険料と家賃の両面で負担率が高く、特に2015年以降、両方の負担率が上昇傾向
3. 経済危機の深刻な影響
リーマンショック(2008年)とコロナ危機(2020年)では、可処分所得が落ち込む一方で、社会保険料負担率は上昇
これにより実質的な負担感がさらに増加
4. 注目すべき逆転現象
2020年頃から全体平均の社会保険料負担額が大卒初任給を上回る状況が発生(社会保障制度の持続性に関わる重要な指標)
身近な商品で見る経済状況の変化
このグラフでは、親しみやすい日用品の価格と収入の関係から、経済状況の変化を捉えてみました。

主要グラフ(上段)
若年層の可処分所得額(青線):年間約300万円前後
日本全体平均の可処分所得額(オレンジ線):年間約370万円前後
全国平均アルバイト時給(緑線):800円から1,150円へと上昇
コンビニ弁当の平均価格(赤線):370円から560円へと上昇
缶コーヒーの平均価格(紫線):100円から160円へと上昇
指数推移グラフ(中段) 1995年を100とした場合の相対的な変化率:
アルバイト時給:約40%上昇(最も高い伸び率)
コンビニ弁当:約50%上昇
缶コーヒー:約60%上昇
可処分所得:横ばいまたは減少傾向
労働時間換算グラフ(下段) 商品を購入するために必要なアルバイト労働時間
コンビニ弁当:約30分→28分へ微減
缶コーヒー:約8分→8分弱へ微減
主な洞察
価格上昇と収入のギャップ
日用品の価格は30年で約1.5倍になったのに対し、可処分所得は横ばい
特にコロナ以降の物価高騰期(2022年〜)で、この傾向が加速
実質的な生活水準の低下
中段の指数推移グラフから、日常消費財の価格上昇率が可処分所得の伸びを大きく上回っていることが明確
両方のグラフを総合すると、収入の停滞と社会保険料・住居費・日用品価格の上昇という「三重の負担増」が、特に若年層の経済状況を圧迫している状況が理解できます。
ここで重要なのは、この経済的制約がAIネイティブ世代の価値観形成に与えている影響です。彼らの「モノを所有しない」「体験を重視する」といった志向は、必ずしも理想的な選択ではなく、経済的現実への適応という側面もあるのではないでしょうか。
実際のところ、この問題は若者だけにとどまらないようです。最近の報道でも頻繁に取り上げられるように、この経済的な制約は日本社会全体が直面している課題となっています。

全世代に広がる「余裕のない現実」
データを見る限り、「遊ぶため、リフレッシュするため、生活を楽しむための自由に使えるお金」の余裕が消えつつあるのは、若者だけでなく日本全体に見られる現象です。
全世代的な傾向
全体的な傾向
全体平均の可処分所得も30年前の水準に戻っていない
社会保険料負担率は全年齢層で約14%→約18%へと上昇
固定費(住居費・光熱費・通信費)の割合も増加
年代による影響の違い
若年層:基本的な生活の維持自体に苦労し、将来への不安も大きい
中高年層:現在の生活は維持できても、将来への不安から消費を抑制
高齢層:年金依存度が高く、医療費などの支出増加に直面
「真に自由に使えるお金」の消失
東京で一人暮らしをする25歳(月収25万円)の平均的な収支だと、所得税、住民税、社会保険料などの控除合計が大体平均約57,500円、家賃等の生活に必要な固定費の合計が平均約153,000円ぐらい。その場合の残額、自由に使える金額は、約39,500円。
この約39,500円で貯金、交際費、娯楽費、衣服費、美容費などをまかなうが、サブスクや、仕事上の必要な交際費や、奨学金返済、病気・冠婚葬祭などなど突発的な出費があれば、「車を買おう」「旅行に行こう」と思えるかどうか微妙な金額です。
30年の間に消費社会も変化しているが、「生活を楽しむためのお金」が減少していると解釈することは合理的でしょう。
デジタルカルチャーと経済的制約の関係性
データが示す答え
前回「結局、可処分所得が関係あるんじゃないの?」と問いかけましたが、(もちろん今更ではありますが)データが示す答えは「その通り」という感じでしょうか。
30年間で蓄積された経済的制約という現実の中、「所有から利用へ」は理想ではなく必然です。
「所有から利用へ」の本質的な意味
そして興味深いことに、「所有から利用へ」の流れは、逆に考えれば、デジタルカルチャーの発展による利便性と様々な恩恵によって、総合的な経済的制約を促進してしまった、とも言えるのです。
これまで私たちは、サブスクリプションやシェアリングエコノミーの普及を「新しいライフスタイル」や「持続可能な社会への転換」として肯定的に捉えてきました。しかし実際には、経済的な余裕がなくなった結果として、この流れが加速したという側面もあるのではないでしょうか。
つまり、デジタル化は確かに便利なサービスを生み出しましたが、同時に従来の雇用形態を変化させ、結果として多くの人の経済的基盤を不安定にし、「所有できない」状況を作り出したとも解釈できるのです。

日本社会と真面目な国民の静かな苦悩
全世代にわたる「遊べない現実」
日本全体が余裕のない社会状態にあるのでしょう。そして、とても優秀でしっかりしている若者たち、真面目すぎる我々日本人は、あまり遊べていないのかもしれません。
この真面目な国民性が、日本固有の美しい文化を作り上げているのですが。
日本の年間休日総数(土日、祝日、有給休暇含む)は、日本は欧米主要国と比べても大差がないので、時間はあると言えばある。ですが、有給休暇の取得率が低く、休みにくい実態もあり、そこへ可処分所得の現状も重なって、あまり遊べていないような感覚が蔓延しているのかもしれません。
デジタル化の光と影
私たちは今、デジタル化の恩恵を享受しながらも、同時にその代償として経済的制約を受け入れざるを得ないというジレンマの中にいるのかもしれません。便利さと引き換えに、どこか余裕を失ってしまった現代社会。
おわりに:すでに変わった時代の価値観
生き方はそれぞれですので、一概にこれが正しいとは言えません。しかし、根本的に意識し、理解しなければならないのは、完全に時代の価値観が変わったということです。
これから変わるのではありません。
すでに変わってしまったということです。
前回のブログでご紹介したAI 2027の予測は、あくまで予測ですが、実際にアメリカで起きているスーパーハイテク企業におけるコンピューターサイエンス職人材の急激かつ大規模なリストラや、その専門学部を卒業した就職難は、すでに起こった後の事実なのです。時代の価値観の変化スピードは、以前とは比べ物にならないほど早くなっています。
ここで、生き方や生き残り戦略についての明確な具体策はまだ見えませんが、まずは、このような意識を根底にしっかりと持つということから始めてみてはいかがでしょうか。経済的制約と向き合いながらも、私たちは新しい時代の価値を見出していく必要があるのです。
阿部
※筆者は専門的な研究機関ではなく、文化、クリエイティブ、プロジェクト等を背景とした立ち位置におりますので、ブログ内のデータや図表は少々甘いかもしれませんが、ご容赦下さい。
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