枝豆とシャブリと日本の異常な文化融合力(エディット力 ・アレンジ力)
- Hiroshi Abe
- 6月9日
- 読了時間: 6分

◆1. 異質な組み合わせから始まる物語
枝豆とシャブリ。
メザシとブラン・ド・ブラン。
塩茹でした枝豆の素朴な甘みと、シャブリの鋭利なミネラル感が舌の上で出会う瞬間。
そして、干物の凝縮された旨味と、ブラン・ド・ブランの泡が織りなす、朝霧に包まれた漁港のような情緒。
この組み合わせが持つ豊かさは、単なる味覚の問題ではない。和と洋の文化的背景が、まったく異なるコンテクストでありながら、深層で響き合う瞬間を体験しているからだ。
枝豆は日本の夏の記憶を、シャブリはブルゴーニュの石灰質土壌の記憶を運んでくる。
メザシは漁村の朝の匂いを、ブラン・ド・ブランはシャンパーニュ地方の修道院の静寂を宿している。
ちょっと大袈裟か。
⚫︎食材×酒類の魔法の組み合わせ
枝豆とシャブリ、メザシとブラン・ド・ブランから始まる探索は、序章に過ぎない。
日本の食材と西洋の酒類が織りなす組み合わせの妙を、もう少し探ってみよう。
干物・塩漬け系の革命:
• するめとクレマン・ド・ブルゴーニュ(噛むほどに味が出る食材と泡の爽快感)
• いかの塩辛とカヴァ(発酵の複雑味とスペインの泡の軽やかさ)
• いかの塩辛とジン(ハーブの香りが塩辛の複雑味と調和)
• からすみとプロセッコ(卵の濃厚さとイタリアの泡の軽快さ)
• 数の子とシャンパーニュ(プチプチ食感と泡の共鳴)
朝食・日常食材系の驚き:
• 焼き海苔とシャブリ(海の香りとブルゴーニュの白の共鳴)
• 鮭の塩焼きとサンセール(脂ののった魚とロワールの白の酸味)
• 玉子かけご飯とミュスカデ(シンプルな美味しさ同士の出会い)
発酵・熟成食材系の深み:
• あん肝とソーテルヌ(濃厚な肝と甘口ワインの贅沢な組み合わせ)
お暇なときにトライしてみてはいかがだろうか。
ただ味覚については、個人の主観によるので保証はできないが。
ちなみに、私は美味しい食べ物や酒は大好きだが、美食ではなく今では選食志向だ。
これらの組み合わせは、表面的には異質でも、味の構造や調理法に共通点があることで成立している。塩気と酸味、発酵と熟成、旨味とミネラル感。文化的背景は違えど、味覚の根本で響き合う何かがあるのだ。
◆2. 日本食文化の特殊なところ
月曜ランチはパスタ、
火曜の朝は卵かけご飯と味噌汁、
水曜のランチはタイカレー、
木曜ランチは焼肉弁当、
金曜夜はビストロでディナー、
土曜は居酒屋で日本酒と唐揚げ、
そして日曜は皆でちゃんこ鍋。
これらは、私たち日本人にとって、それほど驚くことのない一週間の食生活の一例だ。
しかし、日本にいると気づきにくいのだが、これは世界的に見て異常なほどの多様性なのだ。私は50カ国100都市ほどを旅してきた中で、あることに気づいた。それは、他国の食文化が自国中心に偏っているということだ。日本だけが世界中の色々なものを普通に食べている、という意味だ。
⚫︎世界に類を見ない「無節操な雑食性」
一部のファインダイニングのフュージョン料理周辺をクリエイトしているグループはさておき、フランス人は伝統的なフランス料理を、イタリア人は伝統的なイタリア料理を愛し続けている。もちろん、それ自体は美しいことだ。
日本の場合も、私を含めて大多数が日本固有の食事をほとんどみんな毎日食べているのだが、一方で、海外ではそこまで日常の食生活に「外国のもの」を日替わりでコロコロと食べる文化はまずない。
海外では「昔ながらのもの」を変わらず愛し続ける人が圧倒的に多いのだ。日本のような「無節操で特殊な雑食性」は存在しないと言っていい。
そして、日本の外食・飲食店は、まるで強迫観念に駆られたかのように、食材のメニューや見せ方の微調整を絶え間なく続けている。新しいメニュー開発にも余念がない。これは日本人が元来持っている、飽き性または忘れ症という特性と、物事をあれこれと考えすぎる性質の表れだと思っている。
⚫︎惣菜パン文化に見る創造力の源泉
例えば、日本の惣菜パン文化をご覧いただきたい。明治時代にパンが日本に伝来した後、日本人の嗜好や食文化に合わせて創作され、西洋のパンに日本の惣菜や調理法を組み合わせる形で独自進化した。
カレーパン、焼きそばパン、コロッケパン...これらは完全に日本オリジナルだ。惣菜パンのクリエイションはどこまでも広がっていく。
こういった同系統のパン類、海外にも具入りパン(サンドイッチ文化、中国の包子など)は存在するが、日本の惣菜パンのような多様性と独特さは珍しいものだ。
2020年頃から始まった海外での日本の惣菜パンムーブは、フランス・パリやその他外国で人気を固めつつある。
そして今では、スタンダードなフランスパンやクロワッサンは、日本人の特別なアレンジ力によって、あらゆる技術的課題を乗り越えた結果、世界で1番美味しくなったと言ってもそんなに間違っていないと思う。
パン自体は海外由来だが、それを日本の食材や調理法と融合させて「惣菜パン」というジャンルを確立したのは、まさに日本独自の節操のない(笑)エディット力・アレンジ力による食文化の創造なのだ。
⚫︎エディット力・アレンジ力の定義
ここで整理しておくと、エディット力とは細部を調整・洗練させる力、アレンジ力とは既存のものを組み合わせ直す力、と定義できる。
この視点で見ると、スタンダードなフランスパンやクロワッサンは、日本人の特別な力によって、あらゆる技術的課題を乗り越え調整した結果、今では、世界で1番美味しくなったと言ってもそれほど間違っていないと思っている。
⚫︎日本は世界最高のグルメ大国
それは高級レストランの数や星の数の話ではない。一般市民が日常的にアクセスできる食の多様性と、その平均的な質と衛生環境レベルにおいて、日本に匹敵する国は存在しないはずだ。
日本の和と洋(ついでに中も)にまたがるエディット力・アレンジ力は異常なほど優れているからだ。そして、この文脈は、食文化に限らず、見渡せば他のカルチャーにも色々ある。
• 茶道とコーヒー文化の融合(和カフェ)
• 着物とハイファッションのミックス
• 日本庭園と現代建築の調和 • 温泉と西洋スパ文化
• 武道とフィットネス(空手エクササイズ、ヨガ×座禅)
• 盆栽と現代インテリアデザイン • 書道とグラフィックデザイン
• 和太鼓とロック音楽(和楽器バンドなど)
この和洋融合の「節操のない優れた創造力(アレンジ力とエディット力)」こそが、日本の最大の武器の一つなのかもしれない。
そこに私たちは屁理屈をこねず、きちんと今一度受け止めた方がより良い未来がやってくると思う。
◆3. 日本のエディット力 ・アレンジ力
この「異常なまでに優れた文化融合力」はどこから来たのか?
なぜ日本だけがこんなにも「節操なく」創造的でいられるのか?
そして、すべてがうまくいくわけでもない。
時には失敗もあるし、行き過ぎた融合への批判もある。
そしてこの優れた力を未来にどう活かすべきか。
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